歴史

◎当教会は、1875年に創立された東北最初のプロテスタント教会です。

 1874年(明治7)、津軽藩の藩校であった東奥義塾が再興された際、元津軽藩士でキリスト教徒であった本多庸一初代塾長が、北米のメソジスト教会より日本に派遣されていたJ・イング宣教師を英語教師として招聘した。イング宣教師に感化を受けた東奥義塾の生徒22名が洗礼を受けてキリスト教徒となった。彼を中心として1875年(明治8年)10月3日、東北最古のプロテスタント教会として弘前公会(現弘前教会)が誕生した。初代日本人牧師は本多庸一であった。以後、津軽一円にメソジスト派の教会が生まれていく。彼らは、キリスト教信仰に立って津軽の近代化やキリスト教伝道のために貢献し、後に「弘前バンド」と呼ばれた。これは日本プロテスタント草創期の三大バンド(横浜、熊本、札幌)に準じるものである。また、東奥義塾はキリスト教主義教育を掲げ、多くの人材を世に輩出した。

 クリスマス会の時、イング宣教師は、故郷のアメリカ・インディアナ州より取り寄せたりんごを若者たちに振舞った。その味に感動した若者たちがりんごの苗木の取り寄せをイングに頼んだ。彼らはりんごの栽培会社「敬業社」を興し、津軽一円のりんご栽培の端緒となった。

 本多牧師は板垣退助と連帯し、津軽における自由民権運動を展開し、やがて県会議長を務めた。また、女子教育の必要を説き、遺愛女学校(函舘)の協力を得て、弘前女学校(現弘前学院)を弘前教会の和室で誕生させた。教会長老の菊池九郎は、津軽の人々を啓発するために東奥日報を創刊した。また、東北大冷害で孤児となった子どもたちのために、教会が母体となり、サムエル保育園が設立された。兄弟園のダビデ保育園と共に今日に至っている。このように弘前教会は、津軽の発展に仕える人々とイエス・キリストに仕える200名以上の伝道者を輩出して今日に至る。